曳山祭
5月5日、城端曳山祭(じょうはなひきやままつり)に参加させてもらった。
6時半に近所の方がむかいに来て下さった。
祭りの会場となる、城端の中心地にご近所さんの奥さんの運転で向かう。
姉の集落は城端の外れ、山手側にあり、中心部までは車で15分ほど。
お祭りにはお酒がつきもので、帰りのことを考えて、朝は祭に出ない奥さんや娘さんに車で送ってもらい、帰りもまた迎えに来てもらうのが毎度のことのよう。
到着。
立派なお寺で装束に着替える。
初参加の人には地下足袋が支給される。
厚待遇〜。
「エアマックス」ではなかった。
自分がひかせてもらうのは、大工町の曳山。
姉が住んでいる集落と繋がりがあって、結構昔から助っ人に来ているらしい。
8時前、ご神像を安置しているお宅まで、曳山がお出迎え。
ご神像をのせる。
ご神像を安置している家を、「山宿」というらしい
ご神像は、祭りの前日に蔵から山宿に運び込まれ、当日、曳山に乗せられる。
曳山行事が終わった後、再び山宿にご神像が返され、家の人はみんなでご神像と一緒に寝なければならない。
そして翌日、蔵に戻されるとのこと。
お神酒で立山をいただいた。
城端の裏路地。
越中の小京都と呼ばれる。
が、町の人は「大きく出たなぁ笑」と笑っているそう。
出発前、出発式が執り行われた。
偉い人の話は、やっぱり誰も聞いていない。
「こないだ身内が事故をして、病院への搬送の付き添いで初めてヘリに乗った」
「あの曳山引いとんの、みんなシルバーセンターから来た人ばっかやぞ。」とかそんな話で盛り上がった。
出発式は令和元年を記念して行われたそうで、いつもはしないという。
大事な節目の年に、快く参加させていただけるのがありがたい。
8時半ごろ、巡航スタート。
大工町の曳山の先頭をやらせてもらえることに。
曳山は主に後ろから押す力によって進む。
前で引っ張る人の役割は舵取りがメイン。
「後ろ振るぞー!前おさえろー!」と言われた時には、前の人は持ち手のところにのしかかって体重をかけて、後輪を浮かせる。
その間に後ろの人は持ち手を左右に押して曳山の向きを変える。
この逆の、「前振るぞー!後ろおさえろー!」もある。
曳山の前には、拍子木を持ったおじさんがいて、その人の指示に従って曳山を動かす。
カチカチと鳴らしたら、スタート・ストップ
カチッと鳴らした後、拍子木を右に振ったら右に寄せろ
といった感じ。
曳山は思いのほか重く、車輪から「ギューーッ」とすごい音がする。
この音に、魔除けの効果があるとされているらしく、車輪のベアリングのところに、鳴り板を入れているという。
今年は鳴り板を新調したらしく、すり減り始めるまでは車輪が重いらしい。
曳山には、子どもが乗せてもらえる。
町に所縁のある男の子であれば、座れるスペースさえあれば誰でも乗せてもらえる。
曳山の上には、子どものほかに紋付袴の大人が2、3人乗っている。
多分偉い人。
9時過ぎには満員になって断られる子が何人かいた。
来年はもっと早くおいで〜。
曳山の前には町ごとに「庵屋台(いろりやたい)」が巡行している。
みんな屋台と呼んでいた。
庵屋台の中には、三味線や笛を持った人たちがいて、「庵唄(いろりうた)御所望」と書かれた紙が貼ってある家の前で止まって唄を披露する。
誰でも御所望できるわけではなく、お金を払わなければいけないので、そんなめちゃくちゃ多くはない。
中にいるのは、地元の若い衆。
唄も三味線も上手だし、端正な顔立ちをされている方が多かったので、芸事の名家の方が来られているものだと思い込んでいた。
一年中この祭りのために練習していると、地元の人から聞いた。
雨天で曳山巡航が中止になっても、この庵唄だけは多少の無理をしても執り行われるという。
10時すぎに休憩。
お茶が配られた。
曳山の上の人にポイポイ投げ上げる。
投げたお茶が曳山に激突して、ヒヤッとしたが、みんな笑っていた。
よく見ると、曳山は結構欠けていたりする。
昔誰かのお茶、当たったのかな。
休憩後、再びスタート。
日差しが強くなって、暑くなってきた。
町の中心部に再び戻ってきて、庵唄ラッシュに。
休憩多いからありがたいけど、屋台の中の人は大変そう。
この祭りでは、町の中心部から東西南北、町の外れまで行ってはまた中心部に戻るのを繰り返して巡行する。
つまり、あと何回かは庵唄ラッシュがやってくる。
がんばれ、屋台の人たち。
お昼ご飯時に近づいてきて、子どもたちの降車ラッシュが。
集落の人たちのあたたかさがひしひしと伝わる光景。
お時間があれば是非動画で見てもらいたい。
庵唄ラッシュも終わり、お昼休憩に。
露天の間を抜け、朝着替えたお寺に戻る。
お弁当と、赤飯、温かい味噌汁。
ビールは飲み放題で、地元のお酒、三笑楽も。
かつて地域おこし協力隊という制度で城端に住んでいた、横浜在住の方や、高校卒業後、城端を離れたが、最近になってお祭りにまた参加するようになった船橋の方など、色んな方がいた。
関係人口の増加というのはこういうことを言うのだろうか。
お昼ご飯の後は、露店で地元のビール「城端ビール」を飲んだ。
自分はあまりビールは好きな方ではないが、ほどよい苦味で飲みやすかった。
いい感じで酔っ払って、午後の部スタート。
山手に向かっていく。
城端醤油さんの前
地元の人はみんな城端醤油らしい。
「キッコーマンのは辛すぎる」と地元の方。
ここから、難所にさしかかる。
まずはせっまい登り坂。
登りきって曲がったら、せっまい路地に。
電線に曳山の屋根が当たりそうに。
実はこの屋根、折り畳み可能。
ちょこっとだけスリムになった曳山はまだまだ狭くなる路地を進んでいく。
見物客は、溝の外の安全地帯から見守る。
屋根畳んでてもギリギリ。
予期せずカメラ目線の乗客様。
せっまい路地の中で3時の休憩。
ビールと饅頭をもらった。
「なまがし」といわれるこのおまんじゅう、あんこが入っているが、甘すぎず、ビールとも合う。
ビールと饅頭も上にポイポイ。
ビールが床に激突して泡泡になってたがそれ見てまたみんなで笑う。
お酒も入って笑い声がこころなしか大きくなってきた気がする。
前に西成のおじさんに教えてもらったスピード缶潰しを披露したら、他のやり方のおじさんが2、3人現れて、技術交流。勉強になります。
休憩後も難所が続く。
短い急な登り坂と
長ーい登り坂
そこにカーブで追い討ち
登りきって休憩。5時前。
腹が減ってきて、たまらず坂の頂上にあった肉屋さんへ。
曳き手ホイホイの好立地。
カレーパンを揚げてもらった。
曳山に戻ったら、夜に向けて提灯付けが始まっていた。
食いかけの揚げたてカレーパンをポケットに忍ばせて、作業を手伝う。
せっかく揚げたてなのに。
5時半頃、7時だった予定が前倒しになって晩ご飯を食べることになった。
カレーパン食わんけりゃよかった。
昼と同じ仕出し屋さんの弁当と、赤飯、味噌汁。
ビールとお酒はやっぱり飲み放題。
晩飯休憩が終わって、曳山に戻ると「祭り感」が一気に増していた。
ビルの明かりがない中では、提灯の灯りがよく映える。
疲れもピークに達し、ここからはほぼ無心で曳山を押し続けた。
途中で、山宿さん家の男性を全員曳山に乗せるという、大事そうなイベントがあったが、なんかあっさり終わった。
10時すぎ、「ここが最後の見せ場ですよ」と、隣でひいていた地元のお兄さん。
祭りの最後には、町の最南端、坂の一番上で180度ターンをかまして町の中心部近くの蔵に曳山を納める。
その、180度ターンが見せ場とされているという。
180度ターンのポイントは、ターンのスムーズさと、方向を変えた後、止まることなくそのまま進み出すことだそう。
大工町は、その180度ターンが6カ町の中で一番うまいとされているそうで、曳山を引く人たちも、その自負と意地をもって曳山をひいている。
180度ターンのポイントが近づいてくると、おじさん、おじいさんたちのテンションが露骨にあがってくる。
さっきまで半分寝てたおじいさんや、いつのまにか列から離脱してたおじさんが戻ってきたり。
180度ターンのポイントまで来た。
一気に回る。
「後ろ振るぞ!前乗れ!」だったので、自分は乗っかってるだけ。
バシッと決まったっぽい。
自分たちのターンが終わった後は、他の町のターンをみんなで見ていた。
「…70点。」
「ありゃあかんなぁ!」
そう言うおじさんたちから町を背負う意地とかプライドみたいなものが感じられてなんかよかった。
曳山を蔵に納めて、三たび着替えたお寺に戻る。
豪華なお弁当が用意されていた。
もちろん、ビールとお酒は飲み放題。
大工町の方が、何度もお酒を注いでまわってきてくださった。
助っ人ということなので、すごいもてなされた。
隣に座っていたお兄さんのところに大工町の方がお酒を注ぎに来られた時、「〇〇先生、覚えてますか?△△です。」と、お兄さん。
中学時代の先生と、卒業以来初めて再開したらしい。
そんなことあるんだ。
6年連続で祭りに出た人は、表彰されて賞品をもらう。
以前は金の盃をもらえたそうだが、作っていた職人さんがご高齢で作らなくなったらしく、今は商品券らしい。
寂しいな。
大工町の方が呼んでくださったタクシーに乗って、みんなで集落へ。
(酔っ払って写真がブレブレ)
ジャンボタクシーに初めて乗った。
料金は大工町もち。
ほんとにVIP待遇だ。
何の話をしてたか覚えてないがすごい笑ってた憶えだけある。
帰り道、一緒に行った集落のおじさんに、
「地下足袋、来年も使うから大事に持っとけよ!」って言われた。
酔っ払ってたから言ってくれたのかもしれないけど、すごい嬉しかった。