鴨川
12日に京都に帰ってきて以降、1日も働いていない。
いや、働いてはいるのだが土日だけ。
それも、大学一回生の時からやっている警備のバイトで、仕事はもう覚えてしまっている。
仕事もそこまで難しいことはさせられないし、人間関係に悩むような職場でもない。
精神的負担は無に等しく、働いていないようなものなのだ。
毎日、昼過ぎまでダラダラと過ごしては、バイトの通勤ルートを避けて自転車を鴨川まで走らせ、川べりで座り込んでいた。
気が向けば、持ってきた本を読んだり、音楽を聴いたり。
「帰ってからはしばらく働かないで、気の向くまま過ごしてみよう。そうすればやりたいことが見つかるかも。」
そう思って本当に気の向くまま過ごしてきたが、鴨川で座り込むことでは到底メシを食っていけそうにはない。
今日、以前世話になっていたバイト先であり、今も籍だけは置かせていただいている会社に、契約更新に行ってきた。
その会社は四条河原町のデパートの中にある。
作業着でデパートに入るのは少々はばかられたが(色々と便利なので、僕は普段から作業ズボンでウロウロしている。)デパートに入るからといってよそ行きの格好をするのは、なんとなく悔しかったので、「普段着」のまま、ズカズカとデパートに入っていった。
化粧品売り場から押し付けられる甘い香りをやり過ごして、地下に降りる。
店の事務所で帽子をとって「お久しぶりです。」と社員の方に声を掛けた。
約半年ぶりに姿を現したにもかかわらず、以前と変わらぬ態度で接してくれた。
自分は数週間でも顔を合わせないと、その人との距離感を忘れてしまい、ぎこちなくなってしまうので、そんな社員さんの態度が逆に申し訳なかった。
契約更新の書類を書き終える頃、
「明日暇か?」
と声をかけられた。
「はい、暇です。」
「明日入れる?」
「はい。」
「じゃあ、すまんけど、明日頼むわ。」
誰かに声をかけられないと、このままダラダラと貯金を切り崩す生活を続けてしまいそうだったので、すごくありがたかった。
富山に行く前まで働いていた酒屋には「5月の末には帰ってくると思います」と伝えていたので、再三店長から電話がかかってきているが、それには応える気になれなかった。
時給は高いが精神的負担が自分には大きすぎた。
いや、入ってきたバイトが軒並み2週間もしないうちにやめていくような職場だったので、「自分には」は不要かもしれない。
その酒屋は、個人経営の年中無休。
僕が入った直後に、店長と一緒に店を切り盛りする奥さんが体調を崩し長期離脱。
さらには長年勤めてきた主戦力のおじさんが、店長と喧嘩して辞めた。
ストレスは多かったが、使命感と時給の高さから働き続けてきた。
しかし、しばらく離れて、要らぬものを背負っていたのだと気づかされた。
今思えば時給も、精神をすり減らしてまで働き続ける価値があるほどの高さではない。
25日に支払われる手渡しの給料を、どう受け取ろうか。
給料もらえないことよりも、あの店にもう一度顔を出す事の方が嫌だな。
連日、意味もなく鴨川に通うことは当分なくなりそうだ。
葵祭
京都の大学に通い始めて4年。
思い返せば、大学生っぽいことも、京都っぽいことも満足にしてこなかったなと。
というわけで行って参りました、葵祭。
こないだ久しぶりに見た鴨川ホルモーの影響も少なからず。
毎年、授業だバイトだで行けなくて、初めて。
葵祭の起源とか、この人はどういう役割で…とかは他で腐るほどやられてるはずだから、高大一貫、エレベーターバカの自分がいちいち説明するような無謀な真似はしません。
朝10時半に行列がスタートするということなので、10時ごろ、京都御所に到着。
朝イチはドン曇りだったけど、御所に着く頃にはまぁまぁ晴れた。
観光バスやら、偉い人乗せてきたっぽい車がズラーッと。
早めに来たから全然人がおらず、一番前のいい位置陣取れた。
と、思ったら、こっちがメインじゃなかった。
牛不人気、馬大人気。
こっからさらに移動して、幼稚園児ゾーンの後ろを確保。
園児ゾーンには伏見とか、深草とか書かれた張り紙も見受けられたので、かなり広範囲から招待してるよう。
「○組さんはこっちー」とか言われながら寿司詰めにされていく。
脱いだ靴は雑にゴミ袋へ。
10時半、いよいよスタート。
偉い人っぽい人たちがゾロゾロと歩いていく。
真ッピンクというか、桜色というかの装束を見て近くのおばちゃんが、「これはないわ〜。」と、辛辣な一言。
平安貴族もトランシーバー駆使する時代。
ピンク貴族、トランシーバー貴族が通り過ぎた後から、急に装備がショボくなった。
威厳のあるおじさん中心から、若い人中心に。
前で見てたおじさんが「あ、このへんからアルバイトやな。」と
あぁ、なるほど。
そこからは、大事そうな箱持ってる人が通ったり
でっかい傘持ってる人や
牛車
そして主役の、「斎王代」
「斎王(未婚の内親王)」の「代わり」で、斎王代っていうらしい。
かつては本物の斎王さまがいらっしゃってた。
ってアナウンスで言ってた。
京都市内の一般人女性から選ばれてるらしいけど、莫大な費用を負担しないといけないから、お金持ちの家の人しかなれないらしい。
馬に乗ってる女の人。
前のおじさんが、「馬乗り女っていうねん。」ってずっと言ってた。
そんなストレートなネーミングするもんかと思って調べてみたら、「駒女(むなのりおんな)」だった。
惜しい、おじさん。
時代祭りの時も出動されてる、馬糞処理係の方々。
いつもありがとうございます。
そして行列は、めでたい軽トラでフィニッシュ。
みんな、そそくさと立ち上がる。
くぐり抜けおばあちゃん
下鴨神社へ向かう。
丸太町通は激混み。
裏道へ回避。
鴨川沿いまで出てきた。
みんな、上のでかい道使ってるのか、めちゃくちゃすいてる。
平均年齢高めの飛び石。
みんな、「よっこいしょ」言いながら渡る。
下鴨神社で、またまた激混み。
「社頭の儀」を見るのは断念。
人混みはやっぱり得意じゃないな。
終着点の上賀茂神社に向かうことに。
前に、先輩に連れて行ってもらった喫茶店の前を通ったので、昼飯食うことに。
メニューがブラジル語で、間違えてホット頼んでしまった。
あちい。
再び鴨川へ出る。
行列が上賀茂神社に来るまで、3時間くらい時間があったので、芝生に座ってボーッと。
またまた前に先輩に教えてもらった「深夜特急」を読む。
行列の到着予定時刻に合わせて上賀茂神社へ。
これはいいとことれたぞ、たぶん。
行列が続々と到着。
鳥居の奥へ。
でけえ傘の人はぐったり。
馬乗り女が美人らしく、みんなでガン見
牛車も無事到着。
帰りの輸送は、その道のプロにお任せ
牛車はトラックに乗ってどこかへ運ばれていった。
引っ越しと、牛車の運搬のご用命は、どうぞ日通へ。
めでたい軽トラは、馬のうんこ袋満載になって到着。
それ用だったのね。
こうして行列は無事みんな、鳥居の中へ
行列が奥に消えた後、何見てるのかわからない時間が20分くらい続く。
みんな、なぜか帰らない。
「もう何も見えんやろ」と言わんばかりの運営側
青い服の方々は、消防局員さんのようで、救急車のサイレンが近づいてくると、すぐに目の色が変わって、支援に向かわれた。
かっこよかった。
本当に何も見えなくなったので、離脱。
平安貴族はバスに乗って帰って行った。
鴨川沿いをぶらぶら歩いて帰る。
昨日、今日と、感想と。
5月11日
いよいよ、関西へ帰る日。
8時半くらいには身支度は終わってたが、なんか寂しくて結局9時過ぎまでダラダラしてしまった。
いよいよ出発。
過積載バイク。ごめんよ。
どうでもいいけど、「しない、させない、過積載」って標語、いいな。
家のすぐそばで
お世話になりました
せっかく北陸にきたので、帰路とは真逆だけど、能登半島の方に寄り道しに行くことに。
目指すは能登島大橋
まちを超え、山を超え。
山道を抜けて平野が見えてきた時の安心感は、病みつきになりそう。
抜ける集落抜ける集落、どこもかしこも田植えしてた。
田植えシーズン真っ盛り。
バイトさせてくれんかなぁ。
田んぼの真ん中の一本道。
両サイドの山が後ろに流れていくのが気持ちいい。
能登島大橋に到着。
天気、そこまで良くなかった。。。
海がきれいなんだこれが。
意図せず標識がメインになることがよくあるのだけれど、いい写真っぽく見えるからありがたい。
道の駅のとじまで昼食。
バイク駐めるとき、ごっついバイク乗ってるライダーさんが僕のナンバー覗き込んでこられたので、
「京都からちっちゃいバイクで来たんですよー。」って言ってみたが、微妙な感じで会話は終わった。
とっさに話すのは苦手なんだ。
自分から話しかけたけど。
食事の写真撮るのってなんか恥ずかしいので、無音カメラで。
前に仕事中に写真撮ってたときも、無音カメラにはお世話になった。
食後は次の目的地、千里浜なぎさドライブウェイへ。
道中は特に何もなかったので省略。
千里浜なぎさドライブウェイ
日本で唯一、砂浜を自動車で走れる道。
どういうわけか、色が黒っぽく変わっている部分は砂が固まっていて車輪が沈まない。
全長8km
写真には伝わらぬこの良さ
とにかく行ってみるべし!
バイクがおすすめ!
記念撮影
みんな車とかデカいバイクとかで来てる中、アドレスはちょっと恥ずかしかった。
そっからはひたすら帰る!
夜はサークルの合宿に、OBとしてちょこっと顔を出す。
8時に滋賀の高島集合。
ひたすら帰る!帰る!帰る!
途中、敦賀付近の道の駅で見た夕日に励まされながら、帰る!帰る!帰る!!
4時間ほぼぶっ通しで運転して、なんとか間に合い、高島の宿で一泊。
久々にサークルの仲間とワイワイして、楽しかったなぁ。
5月12日
チェックアウトまで時間があったので、散歩へ。
またまたご活躍の標識様。
チェックアウトして、琵琶湖の西岸沿いを南下。
多分有名な鳥居の横を通りかかったので写真に収める。
途中、自動車専用道路に阻まれ、琵琶湖の沿岸を離脱。
一転、今度は山の中へ。
行きは不慣れだった山道にも、すっかり慣れてしまった。
モータースポーツ中継の解説が言っていた、「アウトインアウト」もどきを駆使してカーブをさばいていく。
山の中なので景色は変わらないが、着実に京都は近づいている。
県境を表す「京都府」の看板を通過した頃には、僕のこころのなかには、富山を離れた寂しさと、これからの京都での暮らしに対する期待感が同居して、渦を巻くようになっていた。
富山で、都会では恥ずかしいだとか、おせっかいだとかされるような、真っ直ぐな人の温かさに触れてきた10日を過ごし、再び僕はこの京都のまちで、ひとり暮らすワンルームマンションに向かっている。
標識の「京都 〇km」の数字はみるみる小さくなり、車の排気音の群れが近づいている。
心の中がゴチャゴチャのまま、スロットルを開け続ける。
ふいに、視界がひらけて気温がグッと上がった。
目の前には京都のまちが広がっていた。
燦々と照りつける初夏の日差しは、
僕の中の「期待感」の背中を押した。
はず。
10日間の富山滞在を終えて
富山に行く前より少し気温の上がった京都は、行く前と全く違って見えました。
人だ、人がたくさんいる。
僕が富山に行く前と比べて、特段観光客や人口が増えたというわけではありません。
人を「人」として強く意識するようになった気がします。
昨日まで、僕がいた集落は人口100人前後。
僕の行動範囲ですれ違いうる人数でいえば30人にも満たないと思います。
そんなところにいた次の日に、人口150万弱、それに加えてたくさんの観光客がやってくる京都市に帰ってきたわけです。
京都の交差点でひと信号止められて待とうものなら、富山の集落で僕が出会った人数を優に超える人数とすれ違うことになるでしょう。
一日にして、「人がほとんどいなくて、たまにすれ違う人は全員知り合いの世界」から、「無数の人とすれ違う世界」にきた。
このことが僕の感覚に変化をもたらしたのだと思います。
これだけ人が多い京都では、すれ違う人全員と知り合いになることは不可能です。
同じ授業とってたとか、バイト先の上司だとか、いろんな理由をつけて関わる人を選択して、それ以外の人のことは、無視してすれ違わなければなりません。
そんな環境から、「いる人全員知り合い」の富山に滞在した中で、よそ者の僕を温かく受け入れてくれる集落の人々の姿を見て気付かされたこと。
それは本来「仲良くなることに理由など必要ない」ということでした。
都会では人が多すぎるから、何かと理由をつけて関わる人を選択していかなければいけないけれども、本来はいる人誰とでも挨拶して、おしゃべりすればいいんだと。
都会では、お金があればものがすぐ手に入って、不自由なく暮らせます。
そんな環境にいるうちに、ひとりで生きてるような気になって、過度に人と仲良くなることに理由を求めるようになって、お金稼ぐことだけに必死になって、、、自分から1人になろうとしてた気がします。
理由だとかどうだとか言わず、接点ある人とはとりあえず仲良くなろうとすればいいんだと。
そんなこと考えながら町を歩いていたら、街ゆく人々がみな、「関わりうる人」に見えてきて、「あ、人がいっぱいいる!」ってなったってことです。
何をうだうだ言ってんだって感じですね笑
とにかく、100人以下の集落に滞在して、すぐに都会に戻ってくることをおすすめします!
感覚変わりますからっ!
…なんて言ってる僕のこの「感覚」もいつまで続くかわかりませんが笑
とりあえず「感覚」があるうちに、珍しく意味もなく外に出て、人を感じてます。。。
彫刻のまち、井波
5月10日
いよいよ、今回の富山滞在も最終日。
午前中は、今日も家で本読んだり甥っ子と遊んだり。
結局、アルペンルートも断念したし、観光っぽいことあんましてないな。
ということで、姉が隣の隣の隣の隣町くらいの、井波というところを案内してくれることに。
井波は、3日のよいやさ祭りで、神輿を担いでまわったまち。
日本遺産に登録されているところがあるようなまちだそうだけど、神輿担ぐのに必死で、景色とか見てる余裕なかった。
ちなみに、後から聞いた話、あの神輿の重さ、1トンあったらしい。
そりゃ全身痛くなるわけだ。
姉の運転で井波に向かう。
道中「逃げ水」という蜃気楼を数回見た。
路面に黒い水たまりのようなものが見えるが、近づくと消えてしまう。
姉の運転する車に、20分ほど揺られて到着。
1390年に瑞泉寺っていう、結構大きいお寺が建立されて以降、門前町として栄えた。
らしい。
瑞泉寺に続く、井波のメインストリート「八日町通り」
井波は、彫刻のまちとして有名らしく、まちのあちらこちらに彫刻が見受けられる。
表札も
看板も
公衆電話も
みーんな彫刻。
斎賀邸
昔の姿がそのまま残されてるらしく、井波で日本遺産に指定されてるもののうちの1つ。
※「そのまま」といっても、なかは博物館チックになってたり、テナントが入ってたりする。
「名古屋城の本丸御殿の欄間も、井波彫刻なんですよ〜」って、地元の観光ガイドのおじさんが誇らしげに話してくれた。
奥には立派な蔵が。
扉が分厚い。
蔵というよりも、金庫の扉。
中に入ると、Tシャツにトレーナー着てても肌寒い。
クーラー入れてんのかってくらい。
この辺の蔵の床下は、土むき出しのところに石置いて、その上に木のツカっていうのが普通らしいけど、ここは仕事が丁寧。
漆喰と土混ぜた床に、石敷き詰めて、さらに石のツカで支えている。
相当大事なもの入れてたんだろうな。
おじさんも、何を入れてたかは詳しく知らなかった。
井波は、周辺の中でもいち早く下水道が通ったという。
下水道工事の後の床はこんな感じでコンクリートで固めてしまうのが手っ取り早いが、斎賀邸は違った。
石畳の石1つ1つに、亭主自ら番号を振って、下水道工事後、元通りの石畳に戻したという。
意地と執念を感じる。
二階に上がると、和室が何部屋か。
書院造りとか何造りかはわからなかった。
日本史とかちゃんと勉強してれば、もっと楽しめたんだろうなと後悔。
欄間の彫刻が見事。
木彫り職人の間でも、「欄間が彫れれば一人前」と言われているくらい、欄間の彫刻は繊細。
八日町通りにある彫刻店は、多くが外から彫刻作業の様子が見れるようになっている。
勝手に見れるようにって言ってるけど、もしかしたら単に明るいところで作業しているだけかもしれない。
中にお邪魔させてもらうと、ふわりと木の香りが。
甥っ子がグズって軽く泣いちゃったけど、職人さんは微笑んでこっちを見てくれてた。
八日町通りを進んだ先、正面に瑞泉寺の入り口がある。
瑞泉寺は、過去三度にわたって焼失しており、その再建のために派遣された京都の職人が、彫刻の技術を持ち込んだことをきっかけに、井波は彫刻のまちとして栄えることになった。
瑞泉寺の山門
細部まで、見事な彫刻がほどこされている。
彫刻職人の間では、「迷ったら瑞泉寺を見ろ」と言われているそう。
こことか、近づくまで全部鉄だと思っていた。
雲水一匹龍
1879年8月1日、本堂から出火した際、この龍が水を吐き出して、延焼を食い止めたという言い伝えがある。
本堂
彫刻〜。
印刷物でよく見るこの図柄も、手彫りだと少し温かい印象。
本堂から隣の「太子堂」に続く廊下。
藤棚のスミレが綺麗に咲いていた。
下のベンチで一休みしようと思ったが、クマンバチがうじゃうじゃいたのでやめた。
1762年の大火の後延焼を食い止めるために造られた、石の防火壁。
帰って、夜からは昨日急遽開催していただくことになった送別会へ。
家の前がめちゃくちゃライトアップされていた。
ズームしないとわかりにくいかもしれないけど、その奥の人影があるところで、焼肉をいただいた。
目立つし外から丸見えで、ちょっと恥ずかしかった笑
でも、ご厚意に感謝。
準備から片付けまで、何から何までやってくださった。
家に帰って、蚊帳はって寝袋を閉じる。
こうやって寝るのも、今日が最後か。。。
なんて物思いにふける間も無く爆睡。
たぶん美味しくてロックでガブガブいってた焼酎がきいた。
無事帰ってます。
いつも閲覧いただきありがとうございます。
おかげさまで、無事、関西に帰ってきてます。
昨日今日の記事は、明日更新するのでよろしければ見てください!
子守とお茶会の日
5月9日
今日は予定もなかったので、2度寝、3度寝して起床。
10時くらいまで寝た感覚だったけど、起きたらまだ7時過ぎ。
寝るの早くなってるからかな。
お義兄さんは仕事へ。
ゴミ袋を2つ持って、器用にロードバイクにまたがるお義兄さんを見送る。
立山黒部アルペンルートっていう、たっかい雪壁の間を歩けるところに行こうと思ってたけど、費用を見て断念。
たっかいのは雪壁だけじゃなかった。
家事をこなす姉の横で、甥っ子と遊ぶことに。
こっちにきた時は、抱っこしたら泣かれちゃったけど、今は慣れてくれた。
「高い高い」「過呼吸変顔」「顔面ズーム」という、こっちで身につけた、百発百中で甥っ子が笑ってくれる奥義を駆使して、機嫌を伺う。
甥っ子、機嫌がいい時は、床に寝かしてようが椅子に座らせてようが、ひとりで遊んでいるのだけれど、ひとたび不機嫌モードに入ると、抱っこしていないと泣いてしまう。
今日は僕がいるから甥っ子の相手は任せられるけど、姉かお義兄さんひとりの時は、家事しながら不機嫌モードの甥っ子もあやさないといけない。
やってみてわかったが、赤ちゃんの面倒みるのって、想像以上に大変だ。
これに加えてひとりで家事もこなすのって、相当な負担だろうな。
不機嫌モードをやり過ごして、ちょっとは機嫌が良くなった甥っ子を抱きながら、片手でスマホ操作してたら
「そういう時はおもちゃに頼るんや!」
と姉。
なるほど。
甥っ子を座らせて、おもちゃを近づける。
ひとりで機嫌よく遊び始めた。
手抜ける時は抜かないといけない。
自分はたまにのことだから、いつも力入っててもやってられるかもしれないけど、ずっと育児してる姉は、手の抜き方、抜き所を心得ている。
それからは、僕もご機嫌モードの時は甥っ子を程よく放置しつつ、本読んだりしてたけど、やはり定期的に機嫌が悪くなって、その度あやしていた。
赤ちゃんの機嫌って本当にコロコロ変わる。
「赤ちゃんが泣いている時は、必ずしも理由があって泣いているわけではなく、ただ泣きたいから泣いている時もある。」
と、本で読んだと姉が言っていた。
何をやっても泣き止まない時は、諦めて思う存分泣かせることも必要だ。
でも、こんなこと言えるのも、田舎だから。
マンションじゃ言ってられない。
旦那さんががっつり働いてて、マンション住まいのお母さんとか、本当に大変だと思う。
昼飯に、昨日のカレーの続きを食べて、昼からは、ご近所のお宅にお茶をしに行くことになった。
行きしなに、こないだの祭りで衣装を貸してくださったお宅に寄って、返してきた。
旭ポン酢の手土産つき。
やはり、このへんには置いてないらしく、珍しがってもらえた。
お茶会するお宅に到着。
コーヒーとお菓子をいただきながら、大阪に遊びに行ってきた話聞いたり、僕が学校休んでること話したり。
明後日帰ると話すと、
「じゃあ、送別会しないとね!」って。
今日初めて会った人に、明日送別会を開いてもらうことになってしまった。
2時間くらい話して、甥っ子の離乳食の時間も近づいてきたので、おいとますることに。
家を出てすぐ、防災無線で「夕焼け小焼け」が流れた。
5時の合図だ。
帰ってしばらくすると、お義兄さんが帰ってきた。
帰ってすぐ、着替えて離乳食を食べさせるお義兄さん。
疲れてるはずが、ニコニコしながら食べさせてあげてた。
まじ尊敬するっす。
晩御飯までの間、ソファに座ってぼーっとしてたら、師匠が昨日の給料を持ってきてくれた。
「また遊びに来ると思います。早くて6月頭くらい。」って言ったら、
「あぁ本当〜。またよかったらうちにバイトしにおいで。その時期は猫の手も借りたいくらいやっちゃねぇ。」
と師匠。
まじで多分行きます。師匠。
夕飯は、猪肉のチャーシュー、たけのこの土佐煮。
たけのこも、猪肉も貰い物。
田舎って、ご近所さんから色々ともらえるイメージはあったけど、イメージ通り、ないしはそれ以上の貰い物をいただく。
猪肉のチャーシュー。
煮込んでしまうと豚と見分けつかない。
味付けが濃いのもあるかもしれないけど、臭みも感じない。
ただ、やはり少し硬いので、年配の方とかは食べるのが辛いかもしれない。
若者なら問題なし。
むしろ、食べ応えがあって丁度いい。
今、寝袋に入りながら記事の編集をしている。
寝袋で寝るのにも、すっかり慣れてしまった。
そろそろ、帰ってからのことも考えないとな。
草刈りゴーカート
5月8日
5時半に自然に目がさめる。
二度寝して、7時前に起床。
なぜか、ペギーズのドリーミージャーニーが脳内再生されてたので、apple musicで再生。
別に普段からそんな聴いてる曲ではないんだけどな。
ポケットWi-Fiはずっと圏外なので、そろそろ通信量が心配。
4Gは二本だけ立っている。
今日はお義兄さんの師匠の農家で働かせてもらうことになっている。
お義兄さんは子守をしなければいけないので今日は僕ひとり。
8時に師匠の家集合。
地下足袋でペタペタ歩いて師匠の家に向かう。
農作業には地下足袋が良いと昨日言われた。
師匠の家まで歩いて5分ほど。
目に入る景色は、京都にいた頃の憧れそのもの。
でも、この景色にも段々と慣れてきた。
師匠の家の前に到着。
師匠は畑にいた。
畑を歩いて回って、ぶどうの状態を見て回る。
「今年は順調やなぁ」
師匠、嬉しそう。
去年は台風で、ビニールが風に煽られて屋根が地面から浮いてしまったらしい。
その防止策として、今日は地面にアンカーを打って、番線(針金の太いやつみたいなの)で屋根の骨組みと固定する。
アンカーは手打ち。
重りのついた鉄の棒をアンカーにガンガン打ち付ける。
地面からちょっと見えるくらいまで埋まったら、番線で屋根の骨組みと縛りつけていく。
そうこうしているうちに、10時の休憩。
師匠が自販機で飲み物をおごってくれた。
アンバサっていうジュースを選んだ。
初めて飲む。
この辺の自販機ではよく見る気がする。
北陸の飲み物なのかな。
休憩後は、柿の木畑の雑草刈り。
もうすぐ姉夫婦の持ち物になる畑らしい。
草刈り機に乗らせてもらった。
通称「ゴーカート」
車と違って、ハンドルが左右一回転ずつしか回らない。
なので、曲がる時頭振らないと思った方向に曲がれない。
トラック運転する感覚に少し似ている。
右足のペダルの上半分を踏めば、アクセル。
下半分を踏めばバック。
ハンドルは、フォークリフトみたいに片手でスピンナーを回す。
当然パワステなどついてないので、めちゃくちゃ重い。
等間隔に並ぶ柿の木を、うまくかわしながら進む。
師匠はよく見る肩がけの草刈り機で、僕の刈り残しを刈っていく。
楽で楽しい方やらせてくれてるのに、途中、「大丈夫?疲れてないか?」って。
師匠の方がよっぽど疲れるはずなのに。
やっと操縦に慣れはじめたくらいで、昼休憩に。
姉の家に帰ると、お義兄さんが猪肉カレーを作って待ってくれていた。
ひとり、子守をしながら作ってくれたカレーは、辛かったけど美味しかった。
午後からも、ひたすら草刈り。
ものの15分で、雑草の生い茂ってた畑が平らに。
少し出歩けば、何人も知らない人とすれ違う京都では信じられないが、集落内の人たちは、みんな顔見知り。
見慣れない若い男が農作業してるもんだから、通る人通る人にめっちゃ見られる。
「そのあんちゃんどこの人?」
と師匠に聞く人もいた。
姉夫婦の畑が終わると、今度は師匠のぶどう畑の芝刈り。
さっきより気持ち緊張する。
師匠の畑では、さっきのとは違う草刈り機に乗った。
今度のは、ペダルだけでなく、手元のレバーでも前進、後退ができる。
ぶどう畑に立ってるものと、当たるか当たらないかのギリギリを攻める。
進んだり、バックしたりの繰り返し。
レバーをガチャガチャする感覚が気持ちいい。
定時の5時になり、作業をやめて2人で軽トラに寄っ掛かりながら立ち話。
ざっっっっくりまとめると、学生のうちに今しかできないことやっときなという話をされた。
帰ろうとした時、
「今から隣の集落の人に、バーベキューに呼ばれてるんだけどこない?」
と、またまた嬉しいお誘いが。
姉夫婦と甥っ子と、4人でお邪魔することに。
バーベキューの主催は、フランス料理店を営むシェフ。
猪の肉の正しい処理方法の話とかしてくださって、姉たちは興味津々。
「泡、飲む?」
って言われたから、ビールだと思って
「いただきます!」って言ったら、シャンパン出てきてビビった。
市場で仕入れてきたでっかいハマグリとか、鶏胸丸々一枚とか、あまりバーベキューではお目にかからないような食材がいっぱい。
どれも美味しかった。
田植えに参加できなくなって、こっちで結構暇するんじゃないかとか思ってたら、なんだかんだで毎日何かしらのイベントが入っている。
今日仕事できたのは、昨日、ビニールハウス建てを手伝いにいったから。
行動すること、人に会うことって大事なことだなと思い知らされた。
すごいレベル低い気づきだけど、毎日家とバイト先の往復で、休みの日は一日中家から出なかったりした自分にとっては大事な気づき。